言葉によって世界を考える習慣を、誰もがもっているわけではない。言葉を、ただ自己目的に使う者がいて、利己的であることを、あたかも正義の剣のように振り回す者が存在する。発言をしない多くの市民を相手に、代弁者であることを主張することもなく、彼らは言葉で弱者や弱き部分を刺し続ける。それは、被害者にとって暴力に等しい。そうしたことに何ら抵抗できないのが、現代の制度だ。一度味をしめた者は、弱者と弱き部分を刺し続ける。抵抗できないことをいいことに、刺すことの快感をむさぼるのだ。彼らに、何の権利があるのか? もしも、被害者の憎悪の感情に物理的な力があるとしたら、彼らは一瞬にして物理的な消滅を余儀なくされるだろう。